ニューヨークでの思いがけない出会い

2003年、当時勤務していた会社で大きな仕事に取り 掛かろうとしていた時に母の癌が発覚。思い切って退職し 看病にあたった。幸い早期の発見だったため無事に完治。
「さあ、私はこれからどうしようか」と考え、ひとまず友人のいるニューヨークへ行くことにした。「これから何をしようか」と考えて毎日を過ごしながらテレビを見ている時に、ふと目が止まったのは、友人の好きな韓国 ドラマのワンシーンだった。主人公がカギを持たずに自宅のドアを暗証番号で開けていたのだ。聞くと「韓国ドラマでよく見る」と言う。マンションのエントランスではなく、自宅の玄関がオートロック錠になっているのだ。

「こんなに便利なものを、なぜ日本では見かけないのだろう」「自分も使ってみたい」と思いインターネットで探してみたが自宅に付けたいと思うような魅力的なものは見つからない。「よし、ならば実際に行って見てみよう」と韓国行きを決めた。
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26社を訪問しても日本に合うものが見つからない

行ってみると、韓国では一戸建てでも玄関のオートロックは既に当たり前で、普及率は90%近かった。住宅だけでなくオフィスビルや病院、あらゆる施設に付いていた。「こんなに便利なものはない。 なぜ韓国だけなのか?これを世界に広めたい」そう強く思い、電子錠を取り扱う会社に「商品を 見せてほしい」と電話をかけ続けた。そして26社を訪問。ところが使ってみたい商品がなかった。 そして日本人の細かな要求をクリアさせる製品もない。「これでは自信をもって広められない」と いったん帰国することにした。

最後の最後に出会った電子錠に一目惚れ

帰国後も諦めきれないでいたところ、広告代理店時代のクライアントであった自動車会社から 「うちの車の電子部品を開発している会社がある。騙されたと思って行ってみたら?」と言われ その言葉を頼りに再び韓国に向かった。残るはこの1社のみ。ここがダメならもう諦めよう。そう思った。ところがこの会社が大当たり。一目惚れのように一瞬で気に入り、すぐ10台購入した。まだ自分で 事業をすると決めていたわけでもなかったのに…。そしてすぐに帰国。自宅の玄関に取り付けた。

これまでになかった快適さと安心を日本のご家庭に届けたい

「素晴らしい!」電子錠の感想はただこの一言だった。 カギを持たなくても暗証番号でドアを開けられる。そして自動でカギが閉まる。自宅の玄関ドアが ホテルの部屋と同じドアになったのだ。いや、ホテルのドアは何かを持たないと閉め出されるが、この電子錠はカギがなくても開けられる。「なんて快適で便利なんだろう!」残りの9台を知り合いに配って付けてもらったが、誰一人として「普通の鍵に戻したい」とは言わなかった。 これほど素晴らしいものがなぜ日本の家で使われていないのか。考え抜いた末「よし、私がこれを 広めよう」「自動でカギがかかると安心感と手ぶらでも家に入る事ができる快適さをたくさんの人に届けたい!」その直感に従い、電子錠の開発・製造会社を立ち上げる事にした。
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1本の電話が運命を変えた

「え?鍵?結構です。もう使ってるのあるから」
「それよりお宅、実績あるの?」
古い企業体質の建設業界では、新参者が取り扱う電子錠は常に門前払いだった。
「お忙しい中ご対応頂き有難うございます」その声も受話器を置く手も悔しさで震えていた。
「この鍵は必ず使う人に便利と安心を届けられるのに…」 なかなか認めて貰えないもどかしさで一杯だった。 「次こそは!」と心を振るい上がらせてかけた1本の電話が運命を変えた。
「もしもし。鍵をご紹介させて頂きたいので設計のご担当者様はいらっしゃいますでしょうか?」
電話に出たのは女性だった。
「はい、私も設計士ですので伺いますよ。へ~、面白い商品
ですね。ぜひ一度見てみたいのでお越し頂けますか?」
「あ、有難うございます!伺わせて頂きます!」 

ついにこぎつけた採用…しかしまさかの問題発生

アポの相手は有名設計会社の設計士の女性だった。
「ぜひ長島さんの鍵を採用したい所があるんです。品川区にある公共施設で」そう言いながら 未完成の設計図を机の上に広げ「こことここと…全部で11か所あるドアに長島さんの鍵をスペックインしたいと考えています」と設計士が笑顔で話を終えた。
「スペックイン…?それって買って頂けると言う事ですよね?」
建設業界の事など何知らず、とにかく素晴らしい製品だと言う事だけで電子錠を売り始めていた私は当時はスペックインという言葉すら知らなかった。
「ありがとうございます!それでは、いつ納品したら宜しいでしょうか?」
「1年半後ですよ」
「へ?1年半後?」
「ええ。まだ設計中ですから」
「え?では1年半後に私がこの電子錠の商売を止めてたらどうなるんですか?」
「え?今、会社組織じゃないんですか!?」
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株式会社セリュールの誕生

女性設計士の意外な言葉から、会社を作らざるを得ない状況になった。
自分が社長になるとは全く考えていないのだから、会社の作り方など知る由もない。あるのは電子錠への熱い思いとたった300万円の資本金だけ。

こうして2009年5月20日。
株式会社セリュールは産声を上げた。

ここでは以前にテレビ番組で作成してくださった長島の半生の再現VTRをご紹介します。